2019年の3月20日で阪神なんば線が開業、そして近鉄と直通運転を始めてから10周年。
わずか3.8kmの新区間*1ながらゼロ年代後半の関西鉄道新線ラッシュの大トリにして再注目の路線、そして30年以上の工事中断を挟んでようやく本来の形になった路線ということで期待も大きい路線だった。
そんな阪神なんば線も10年が経過し、通勤・通学・観光に加えてインバウンドやらなんやらで利用客数もうなぎ登り。1日あたり9万人を越えているそう。大阪難波から阪神方面に乗り込んでいく外国人、かなり多いんだよねえ。
さて、今ではすっかり定着して運行されている阪神なんば線も初日は大混乱だった。そんな状況を当時の朝から思い出していきたい。なお当時のエントリと内容が大体被るので、そこはご了承ください。
三宮行き一番列車、尼崎までは良かった
その日、私は奈良から記念すべき1本目の三宮*2駅行きの快速急行に乗った。本来は阪神の車両で運転するところを、記念すべき一番列車ということもあって近鉄の車両に差し替えての運転だったとか。停車位置表示*3がおかしかったのを覚えている。
阪神なんば線に入って二駅目、桜川から阪神の作業員と思われる2人組が隣に乗ってきて、特に通過運転になる西九条〜尼崎間で何やら会話をしていたのを思い出す。内容を書き出すのもあんまりかもしれないけれど、確か「通過してる」「速い」「今度から寝過ごしたら難波に行ってまうで」「いやいや奈良にまで行ってまうがな」といったことを話していたはず。これまでは各駅停車しか来ないローカル線だったのが、本線以上の長編成で通過運転してるんだから無理もない。
そして列車は阪神なんば線の終点・尼崎に到着。ここからが混乱の始まり。
なかなか出発しない列車
阪神本線の車両は普通を除き一律6両編成なのに対し、近鉄奈良線の快速急行は10両・8両・6両とバラバラ。阪神なんば線まではそのまま乗り入れられるようになりつつも、尼崎から先の阪神本線へ行くには尼崎駅で後ろの車両を切り離す作業が生じる。
これは今まで阪神にはない作業(というよりむしろ近鉄のお家芸的なもの)だった。というわけで駅員は緊張、ギャラリーが大集合。
私は切り離される側の車両にいたので、このタイミングで前の車両に移動する。ところが待てども発車しない。気づけば3分の停車時間を大幅に上回り、当時のエントリによると気づいた時点で6分遅れ、最終的にはいったい何分遅れだったんだか。
なんとか終点の三宮まで乗り通し、3番線に止まった車両を降りたところから振り返って写真を一枚。そういえば当時は3番線が行き止まりで、2番線が更に西の元町方面行きだったんだよねえ。よく入れ替えたね。
こうして三宮で写真を撮っている間にも尼崎駅には快速急行が続々到着し、三宮方面行きでは切り離し、なんば線方面行きでは併結の作業が次々行われていた。その作業にもことごとく遅れが生じ、気づけばダイヤがえらいことになっていたという。
混乱していく阪神
このときの阪神電車の混乱は、簡単に言ってしまえば阪神の乗務員・駅員の習熟不足が原因だった。そもそも練習時間が不足しすぎたんだけど...。
- 尼崎:連結・解放作業に対する不慣れ
- 乗務員:近鉄車両の取り扱いに対する不慣れ
この2つが初日に爆発したんだろうね。どんどん悪化してくわけです...。
混乱する連結・解放
尼崎に戻って様子を見ていると、毎回車両と駅員・乗務員の激闘が繰り広げられている状態だった。当時のエントリが分かりやすいのでそのまま再掲。
電車が来る度に
- うしろの車両を切り離しますのでうしろの車両にお乗りの方お降りくださいー!
- 電車を切り離します危ないですから下がってくださいー!!
- 幌を外す(もたもた)
- (この間情報が錯綜・混乱)
- もういいから行け!行け!(え、それでいいのかw)
- 電車発車します危ないですから下がってくださいー!
- 回送電車が発車します危ないですから下がってくださいー!
の繰り返し。「もう訳分からん」というのが駅員からものすごく伝わってくる。切り離しが終わったらすぐ向かいのホームの増結の応援に走っていくような状況で、混乱を目の当たりにしてる感じ。
あとで分かったことだけど、このとき既に増結を中止して奈良方面に電車を出していたり、このあと三宮行きの快急を2本連続で西宮打ち切りにしたりという事態になっていたそうな。そりゃいかん。
電車を連結して電車が去ると、何人かは反対側のホームでの作業の応援に向かい、残った数人はその場で反省会の繰り返し。"口論寸前の議論" になるくらいで、もはや現場は疲弊の色が濃い状態。
こうして電車はどんどん遅れ、記憶が正しければ遅れは神戸高速を通して本来関係ないはずの阪急神戸本線に影響し、そしてアーバンライナーを通して近鉄線名古屋地区へと広がっていったのです。
混乱する車両内
いろいろあったのよ
シリーズ21の車掌スイッチのフタ
近鉄のシリーズ21は連結状態になると乗務員室(運転台ではない側)へ立ち入れるようになっている。その代わり、装置をお客さんに触れられないようドア開閉スイッチ周辺にカバーができるようになっている。
尼崎から難波方面へ向かうとき、最後尾に乗ったら車掌がパニックになっていた。ドアを閉めるためにはドア脇にあるスイッチのユニットに鍵を刺さないといけない。ところが鍵を刺す場所がない。見てみるとカバーがついたままで、ここから乗務する車掌にとっては本来見るはずのない状態になっていた。
ない、ない、としばらく混乱していたら応援が来て鍵を開けてくれた。指先で押し込むタイプの開閉スイッチを慌てて握り、違う違うと構えなおして発車する。
- フタが開けられない(というかフタの存在を忘れている)
- ドア開閉スイッチの使い方を間違えている
とWパニックの状態で、もはや混乱しかない。
ちなみにすっかり忘れていたけど、当時の内容によるとこのフタを強引に閉める場面にも遭遇していた。強引な取り扱いは故障の原因よ。
ほぼ衝突事故
三宮方面から快速急行に乗ると、尼崎で併結作業が生じるのはここまで書いたとおり。先に増結編成をホームで待機させておいて、三宮から来た列車は数十m手前で止まり、1m程度手前でもう一度止まり、連結する。
これを車内で体験するとなかなか強烈。一度止まり、もう一度止まり、ん?加速しすぎじドカーン!!!!
・・・という感じで増結車両に力強くぶつかって連結。車内はドリフ大爆笑の雷様のコントの冒頭がリアルに再現される状況だった。繰り返しになるけど、この辺の作業は近鉄の職人芸的な部分になるので始めたばかりの阪神に要求するのはあまりに酷ではある。とはいえ、乗客が吹っ飛びそうなレベルというのはちょっと想定してなかった。
桜川に近鉄側スタッフ登場
近鉄と阪神の境界である大阪難波から阪神側に一駅。今回開業した新駅の桜川駅に行ったところ、駅の東端に近鉄の乗務員・駅員(助役?)・作業着の社員の3名が立っている状況が発生していた。
近鉄と阪神の乗務員の交代や鉄道会社の運転システムの切り替えはこの桜川駅で行っており*5、その関係で来たんでしょう。近鉄にとって重要な折り返し拠点とは言え、あくまで桜川は阪神の駅なので近鉄の人達が端で心配そうにしている姿は後にも先にも初日にしか見たことが無い。阪神なんば線は阪神にとっては支線だけれど、近鉄にとって桜川駅は名阪を繋ぐ近鉄特急という大動脈の最西端だし。
結局あの人達が何を仕切っていたのかは分からずじまいだけど、あれだけ混乱してたら応援も行くわな。
結局この日は
途中からダイヤなんてあってないような状態でした。この日を戦った両社の社員、とくに尼崎の駅員は相当に大変だったと思うよ。
その後
連結・解放の混乱は数日で落ち着きを見せ始め、数週間ですっかり慣れた状態になっていた。朝から晩まであれだけやってりゃなぁ。
開業前に心配されていた近鉄起因の数分レベルの遅れはダイヤ改正をするごとに余裕時分を設けることでクッションされるようになり、近鉄側からだと特に快速急行は桜川か西九条で待ち、尼崎で切り離さないのに数分待ち(その間に客は皆特急に乗り換える)、という感じでじっくり進む列車となった。
快速急行の阪神本線乗り入れはどんどん拡大した一方で、よくみると平日朝は尼崎駅のホームで連結は一切しないように工夫されている。三宮からの快速急行は大阪難波行きと表示されていて難波からは東花園行きの快速急行に化けてしまうし、10両の奈良行き快速急行は尼崎仕立なので本線からは切り離されている。どれだけスムーズに作業ができても数分は時間が必要だし、朝は仕方ない。
5年前からはツアー客向け貸切列車という扱いで近鉄特急が三宮まで時々入線したり、インバウンドのUSJ輸送で利用者がどんどん増えていたりと、甲子園輸送以外の観光輸送はほぼ無かった阪神が大変貌している。それでも安定して走り続けているのは、やはり初日・初週の混乱をしっかり乗り越えて、難波直通することによるメリットがしっかり生まれていたからではないか。
そんな感じではや10年。いやぁ、年とっちゃったなぁ。