空降るでいず

じゆうな いろで えがいて みよう

PHS最後の日

 2021年1月31日はPHS最後の日。ワイモバイルのPHS音声サービスが終了し、個人が利用できるPHSサービスが25年あまりの歴史に幕を閉じる。厳密にはテレメタリングサービス...M2MというかIoT向けの一種みたいなPHS回線サービスが残るので停波ではないんだけれども、音声通話が出来るサービスとしてのPHSはこれで終わり。

 今やソフトバンクとなったPHSサービスの会社は、私が契約した頃はDDIポケットというKDDI系の会社だった。それが投資ファンド系のウィルコムとなりNTTドコモの回線を借りたサービスを始めたと思ったら会社更生法申請、ソフトバンクのもとイーアクセスと合併しワイモバイルに、そしてワイモバイルはソフトバンクに吸収されてただのブランドに。ウィルコムは結果的に3大キャリア+1キャリアと関係のあった存在となった。それだけ伸びる余地があったのか、扱いに困ったのかは分からない。ただ時代の流れに耐えながら、他のPHSが早々と消滅していく中よくここまで維持できたものだと思う。

 さて、そんな私も一介のPHSユーザーとしてお付き合いしてきて、今日ここまで2回線を契約したままだった。これでお別れ。寂しくなるね。

過去の所有機種を振り返る

 折角なので、私がこれまで所有してきたPHSを振り返ってみましょう。私が初めてPHSを手に入れたのが2003年の5月。その後いつだったか妹の使用回線として2回線目が契約、2009年末に私がドコモに逃げた後、サブ回線として2014年に復帰。私が所有していない期間があるものの、契約としては18年近く続けたことになる。うわぁ、数字にするとなんて長さだ。

AH-J3002V (日本無線、2003年5月購入)

 私が初めて手に入れた機種。通称「味ぽん」。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
 この端末、DDIポケットの新サービス AirH"PHONEの最初の対応端末で、H"で初めてインターネットに接続できる機種だった。このAirH"PHONEはなにが凄いって、当時はまだ携帯キャリアがどこもやっていなかったインターネット定額使い放題を実現した画期的なものだった。さらに何を思ったか、普通の音声契約にメール放題(500円ほど、当時もこれは画期的)を付けるだけでインターネットも使い放題になるキャンペーンを1年以上も続けていて、なんかよく分からんけど太っ腹だった。懐かしいなあ。メーカーは日本無線PHSアステル向けを手がけていたけれどDDIポケット向けの音声端末はこの機種が初だった。日本無線はもうこういう端末を手がけていないからね、懐かしい。

 初めての端末だったのでね、これで高校の同級生とやりとりしていたのを思い出す。メールアドレスがpdxだったし赤外線もないのでみんなにはアドレス入力で負担もかけちゃったなあ。液晶は128x160ドットの応答ゆっくりなもので、PCで小さな待ち受け用の壁紙を作ってメールで送ったりもしていた。

 そうそう、H"はMIDIが再生出来るのが特徴でね、当時はネットにちょくちょくあった自作MIDIのサイトから調達してきて着信音に設定していた。そんなこともやってたね...やってたねじゃないか、実は現代のAndroidにおいてもMIDIの再生そして着信音への設定が可能で、今も当時のMIDIをそのまま設定して使っている。人々が着信音にこだわらなくなって早十数年、未だに当時の色合いを残した懐かしい音がけたたましく鳴るわけです。ぶっちゃけ恥ずかしいけど今更変えるのもね。

AH-K3001V (京セラ、2004年7月購入)

 「京ぽん」の通称で一躍有名になった機種。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
 なんといってもブラウザにそこらの携帯電話用ブラウザではなくOperaを採用したのが最大の特徴だった。携帯端末初のフルブラウザ(当時はそんな表現したなあ)搭載端末として一躍有名になったし、フルブラウザという機能や概念はここから始まった。追従した携帯キャリアはフルブラウザの通信を別料金としたけれど、そこはAirH"、そんな発想はなかったわけよ。私もデータ通信用のプランで契約して使っていたのを思い出す。

 これはねえ、発売前年からずっと注目していたのにクラスメイトに先を越されまして、持っているのを見かけたときにはめちゃめちゃ衝撃を受けたのを思い出す。当時はえらい人気で品薄だったし、西大寺の店まで暑い中自転車で何度も通ってなんとか予約して手に入れたなあ。

 みんなOperaをあの手この手で使いこなして、JavaScriptブックマークレットを作ったり、スケジュールのツールを作ったり、ゲームを作ったり、ネット上で大盛り上がりだったね。その代わりデータフォルダが1MBしかなくてメールも含めてやりくりに苦労した。

WX310J (日本無線、2006年9月購入)

 ここからウィルコム時代。扱いにたいへん苦労した機種。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
当時の購入エントリ。
tsukuisu.hatenablog.com
 なんと方向キーが装備されておらず、指紋センサー上で指のスライドをすることで上下左右の操作を行うという大胆な操作を要求する機種だった。指紋センサーと私と言えば、当時大学にあるPCへのログインには指紋センサーでの認証が必須だったんだけど、体質的に合わず再試行の繰り返しで時間がかかりいつもイライラしていた。なのでこの機種に苦戦することを最初から予想していたのにもかかわらず思い切って変えてしまったわけ。そしてあえなく撃沈...。当時の2ちゃんねるで「ヤレヤレ君」と呼ばれていたエラーメッセージ表示時にアイコン的に出てくるキャラクターも絶妙にイラッとくる単純さで普通になかなか辛かった。ちなみにやはり無理があったのか、後継機種では普通の方向キーが装備された。

 バイト先で「何それ?」みたいな反応をされた以外は特に記憶が無い。通学中に思い通り操作できなくてイライラした記憶ばっかり出てくる。電車内で何度もハンカチを取り出しては指先を何度もしつこく拭く姿は奇妙なものに見えたことでしょう。

 ちなみに今使っているAndroidスマホでは久々に指紋認証によるログインを使っているんだけど、当時とは精度が全く違って良くなっておりとても感心する。とはいえ駄目なときも多いので、体質的に限界があるのかもしれない。

nico. (ネットインデックス、2007年頃購入)

 妹が持っていた機種。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
 私が使っていた訳じゃないので特に記憶は無いけれど、世間ではウィルコム定額が有名だった頃で、2台目需要で持っている人がそれなりに多かったんじゃないかしら。カップルが別れるとウィルコムも解約されてしまう、なんて話が出てくるようになるのはこの少し後くらいか(今思い出した)。

WX320K (京セラ、2007年7月購入)

 私にとってはウィルコムがメイン機だった時代最後の機種。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
当時の購入エントリ。
tsukuisu.hatenablog.com
 京ぽん京ぽん2と続いた高機能化路線をやめる方向に舵を切った最初の機種。これ以降、京セラ機は新機種が出る度に「これは京ぽん3じゃない」と言われ続けることになる。かわいそうに。WX320Kが良かったのはRSSリーダーを装備していたことで、いちいち無駄にネットを巡回しなくてもサーバーが代わりに更新をチェックしてくれる。無駄な通信がなくとても便利だった。

 私はというと、最初のバイトを離れた頃で、このあと勉強をするつもりがXbox360アイマスにハマってしまい、さらにはニコニコ動画VOCALOIDの数々の曲を聴くようになり、そして就職活動で精神がやられていくという現在に繋がる転落(というより何だろう、周りがちょっとだけ見えるようになったことによる自信の喪失?)がどんどん激しくなっていった頃だった。この機種だったからこその思い出というのはないものの、なんか自分にヒビが入り始めたような、そんな時期を一緒に過ごした端末だったのかもしれない。

 2年半の所有の後、2009年の年末に6年以上使ったウィルコムを離れドコモに移ることにした。当時はウィルコムの経営状況が芳しくなく、ソフトバンクが経営支援に乗り出すという話もあって気が気ではなかった。あの頃のウィルコム好きはソフトバンクを嫌っていることが多かったし*1、そうなったらウィルコムPHSは旧NTTパーソナルアステルのようにすぐ終わってしまうのではないかとも思ったから。契約は1回線残るし、また戻ってこられるからと。まさかPHSがそこから10年以上も続くとは思うまい。

WX340K (京セラ、2009年3月購入)

 妹が持っていた機種。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
当時の購入エントリ。
tsukuisu.hatenablog.com
 ウィルコム初のおサイフケータイ対応機種。その代わり京ぽんの核だったOperaが無くなりブラウザがNetFrontに変わったことで、随分ガッカリされてしまった機種でもある。

 なんでnico.からこの機種になったんだったかなあ。ちょっと多機能すぎるし高価格だったのよね。外観は左右がシルバーで格好良かったんだけど、数年と経たず銀色が剥げて両脇真っ黒になってしまった。もう長いこと電源は入っていないはずだが実は今でもこの回線は支払い続けているし登録上もこの機種のままだ。役目はとっくに終えているが、正式にも今日終わる。

WX12K (京セラ、2014年2月購入)

 今手元にある機種。今も「バリ5」で待受を続けている。
ja.wikipedia.org
www.ymobile.jp
当時の購入エントリ。
tsukuisu.hatenablog.com
 当時のエントリにも書いているけれど、これはBluetoothを上手く使って

  • 他の携帯電話にかかって来た電話をこの機種で応答することが出来る(つまりBluetoothヘッドセットのふりができた)
  • この機種にかかって来た電話を他のスマホで応答することが出来る

という機能があった*2

 合併前のウィルコムにあった「もう一台無料」制度とキャンペーン、さらには一括で端末購入すると2年間は端末代割引だけが発生するシステム*3をうまく駆使して、「だれとでも定額」を付けてもなおこの回線は月額0円というマジックを生み出した。これをやるために妹が持っている回線に寄生するという構図で、これのお陰であっちの回線も手放せなくなってしまった。が、増税しても端末代割引は増額しないため消費税が8%になったときから0円構想は崩れ、2年経過し端末割引が無くなったことでだれとでも定額もやめた。そして今に至る。

 なんでこれを手に入れたかというと、当時私には会社から携帯電話が支給されておらず、にも関わらず電話がかかってくる機会が増加の一途を辿っていたので短時間でも良いから電話代を安く済ませたかったからだった。ウィルコムに戻ってくる機会を窺っていたのもある。お陰でスマホにかかってきてもこれにかかってきてもPHS一つで応答できたし、電話もかけやすかったし、スマホほど大きくないから電話しながらのメモとかも楽だったと思う。まあ、でも、端末代を回収できるほど通話はしてないなあ。結局そんなもんよ。

 今じゃ奈良に帰ってきて仕事も変わったことでこの端末の出番も無くなったけど、丁度7年の現役生活がようやく終わることになる。長かったね。

次世代PHSの夢の跡

 PHSがここまで長生きできた理由として、旧ウィルコム時代にあの手この手で生き残り策を打ち続けたこと、そして悲しいかな次世代PHSと言われたXGPが軌道に乗る前に終わってしまったことが挙げられると思う。XGPはうまくいかず、ウィルコムソフトバンク傘下になったときにはPHS基地局XGPがセットで別会社に持って行かれてしまい、あとは潰れるのを待つばかりかと思っていた。でも、今にして思えばそうでもなかったなあ。

 XGPはどこまで技術的に残ったかは分からんけれど、中国発のTD-LTEに多少手を加えたものにAXGPという適当な名前が与えられ、XGPの後を継いでますみたいな顔で今もサービスが続いている。その辺の話は昔書いたのでこの辺にしておく。
tsukuisu.hatenablog.com

というわけで

 PHSが終わる。アステルが10年で、NTTドコモも十数年で諦めたPHSを、DDIポケットは移動に強くしたりパケット通信に対応させたり速度を上げたり、様々な工夫で保たせてきた。セールスポイントは音声通話の音質かと思っていたら定額データ通信になり、いつの間にか通話定額になっていた。KDDI系だったはずが今やソフトバンク。経営が良くなかったのは確かだけれど、そんな身のこなしが長生きの秘訣だったことには違いない。

 常に日陰の存在のようでありながら常に異色、常に我が道を行くのがDDIポケット/ウィルコム/ワイモバイルのPHSだったと思う。コモディティ化の権化のようなスマホの時代になって久しく、PHSが異彩を放ったような時代はもう来ないのかもしれない。便利になった反面寂しくもある。

 まだテレメタリング用サービスとしてあと2年は電波が僕らの頭上を飛び交うようだけれど、人が使う移動体通信としてのPHSはこれでおしまい。まだ3Gも無かった頃から始まって、5Gが始まった時代まで続きました。

ありがとうPHS、そして、さようなら。

f:id:tis8347:20210131122601j:plain

*1:と言いつつ当時私は一括0円でソフトバンクのiPhone3Gを手に入れてたりする

*2:Bluetoothの都合上同時には使えなかったはず

*3:MVNOに逃げてしまった民にとっては懐かしい。今でもそんな感じの制度が生きてるのかももはや知らない